航空写真で見るお台場の歴史

戦後から現在に至る、現存するお台場の航空写真を時系列順に並べ、全く同じアングルで切り取り、その変遷をまとめました。
歴史的背景により劇的に変貌していくお台場の姿をご覧ください。


  • 1947年(昭和22年)

戦後2年目の写真です。まだ埋め立てが行われていないため、お台場(13号地)は存在していません。左端から、第2台場、第6台場、そして第3台場が見えています。これらはすべて1854年(嘉永7年)に竣工しています。細長い防波堤は、1930年(昭和5年)に竣工しました。写真右上角に見えている陸地は、1931年(昭和6年)から埋め立てが開始された10号地です。


  • 1963年(昭和38年)

お台場(13号地)の開拓は1961年(昭和36年)から始まりました。当初、お台場は木場として利用されていました。木場への船舶出入りのため、旧防波堤の一部が削り取られているのが確認できます。写真左端にあった第2台場は、航行上の邪魔になるとのことで、1959年(昭和34年)から約3年間をかけて撤去作業が行われ消滅しました。


  • 1966年(昭和41年)

お台場地区の基本的な埋め立て工事が進められています。木場の領域が拡大され、第三台場貯木場として呼ばれていました。


  • 1974年(昭和49年)

基本的な埋め立て工事が1971年(昭和46年)に終了すると、お台場は広範囲に利用されるようになってきます。写真内には写っていませんが、この年に船の科学館がオープンしています。


  • 1979年(昭和54年)

木場としての利用が縮小しているのが確認できます。1976年(昭和51年)には、首都高湾岸線東京港トンネルが開通しました(湾岸線は、写真右端で行き止まりとなっているのが確認できます)。1977年には、お台場で最も老舗となる店舗「ラーメンゆき」(現在は「お食事処ゆき」となっています)が営業開始。また、1978年(昭和53年)には、船の科学館で、宇宙博が開催されました。
※この写真で海が汚れているのは、昭和54年の台風第20号(国際名チップ。観測史上世界で最も低い中心気圧870ヘクトパスカルを記録しました)の影響によるものです。


  • 1984年(昭和59年)

1983年(昭和58年)には、貯木場廃止となり、木場としての役割を終えます。湾岸線の渋滞が確認できます。公園としての整備も進んでいるようです。また、写真左下には、官庁桟橋が完成しているのが見えます。


  • 1989年(平成元年)

1987年(昭和62年)に着工した、レインボーブリッジの橋脚工事が行われています。
現在でも見られるお台場内海の石灯籠も設置されています。


  • 1992年(平成4年)

レインボーブリッジの工事はだいぶ進んでいますが、まだ完成していません。開通は、翌年の1993年(平成5年)です。レインボーブリッジの工事に合わせ、ゆりかもめの工事も進められているのが確認できます。


  • 2000年(平成12年)

1996年(平成8年)に開催される予定だった、世界都市博覧会が中止となり、一時はお台場の企業参入も低迷しましたが、1997年(平成9年)に、フジテレビが本社を移してきたことなどから、再び活性化が進むようになりました。


  • 2007年(平成19年)

現在のお台場です。都心方向、レインボーブリッジ、そして、お台場が織りなす景観は、昼夜を問わず私たちを魅了します。歴史的背景により台場によって囲まれた内海は、一年を通じて凪(なぎ)を作りだし、クルージングの楽しみを倍増してくれます。国内はもちろん、国際的にも優れたクルージングスポットといえるでしょう。

  • 出典:
 地理空間情報部空中写真 国土地理院
 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
 国土画像情報(オルソ化空中写真) 国土交通省

幻の東掘留川・西掘留川を追う
写真で見る鎧橋の歴史

topbackhome